2012年4月25日 (水)

お見合い、そして、結婚を前提とした交際

お見合いの後、結婚を前提にした交際に進むときには、紹介してくれた人に謝礼を手渡します。

断るときには、預かった写真や書類を返し、あらためて断る旨を伝えます。

結婚を前提にした交際を断る理由はきちんと言った方が紹介者も納得してくれます。

ただし、相手側を傷つけるような言い方は控えなければなりません。

断る場合もお見合いの費用と手土産を渡すのがふつうですが、紹介者が費用の受け取りを固辞する場合には、その場は無理に渡さず、別に商品券などを送ってお礼の気持ちを伝えます。

相手から断られてしまったときも、預かった写真と書類を持参して紹介者にお礼の挨拶に出向き、費用と手土産を渡します。

断ったり、断られたりした場合、引き続き見合い相手の紹介を依頼しつづけるのならば、「これからも引き続きよろしくお願いいたします」と丁重に頼みます。

自分から断った場合には、断ったことへのお詫びを忘れないように。

お見合い後に片方から交際を望む返事があり、もう片方が迷っている場合には、すでにOKのサインが相手から出ていることを伝えて決断を促すことがあります。

とくに迷っている側が相手の人柄は気に入っていて、他の条件さえクリアーできれば、結婚を前提にした交際に進み、縁談がまとまる可能性が高いと見た場合には、問題となる点を善処できるかどうか相談に乗って助言したり、まずは交際して相手と話し合いながら結論を出してはどうかといった方法を提案したりします。



2012年3月26日 (月)

アレンジド・マリッジと見合い結婚の違い

「見合い結婚」は英語でいうとアレンジド・マリッジです。

これは私たちが今考えている見合い結婚とは全く違うものです。

アレンジド・マリッジというのはインドの幼児婚のように、本人が全くあずかり知らぬところで当事者以外の人間、親同士が決めるような結婚です。

ところが、現在の日本の見合い結婚は全く違います。

最初に親族や友だちの紹介で会ったとしても、最後の意志決定権は当事者が握っています。

現在の見合い結婚とは、最終の意志決定権は本人が持っていますが、そこにいたる出会いに媒(なかだち)のある結婚のことを意味します。

今でも結婚式には媒人(なこうど)が立ちますが、この媒人は昔は実質的な媒のことでした。

今は形式的なものにすぎないです。

この媒のある結婚、「媒人口」(なこうどぐち)のある結婚が見合い結婚でした。

それでは見合い結婚はいつごろからあったのでしょうか。

たしかに封建時代にも当事者があずかり知らぬところで勝手に結婚相手が決まる結婚はありました。

これは武士の階級や豪商・豪農の階層にある、一種の政略結婚です。

女が「家」の勢力拡張の道具に使われたのです。

女に利用価値がある限りは、婦徳にいわれる「貞女は二夫にまみえず」というような規範は通用しません。

2012年2月18日 (土)

神前結婚は明治から

「恋愛結婚」は新しい現象のように思われています。

恋愛結婚がどんなに新しいかということを考えてみる前に、恋愛結婚と対比される「見合い結婚」はほんとうに「封建的」な結婚で、日本の伝統なのだろうか、ということを考えてみなければならなりません。

私たちが「伝統」と考えているものには、根をたどってみると意外と歴史の浅いものがいくつもあります。

たとえば今の結婚式のあり方に「神前結婚」があります。

現在のように神主さんが登場して三々九度の杯を交わすという神前結婚の形式は明治の後に初めてできたものです。

考えてみると、明治初期の神社・仏閣令の時期まで、日本の神社・神主は今のような勢力を持っていませんでした。

したがって、神前結婚は明治前にはなかったのです。

それでは、それ以前の結婚は仏教式だったかというと、そうではありません。

これは神も仏もない人前結婚でした。

私たちが伝統と思っているものは意外と歴史が浅いのです。

それでも外国の方などが日本に来ると「えーっ!日本には今でも見合い結婚ってあるの?」という顔をします。

しかし、最近の見合い結婚は、結婚相談所が設定する場合が多いです。

昔のように仲人が見合いをセッティングするのは、むしろ少数派です。

結婚相談所 東京

2012年1月28日 (土)

30代のシングル生活と結婚

結婚をしていないシングルの女性にとって、30代は、迷いの季節です。

なぜ迷うのかといえば、自由だからです。さまざまな選択肢が目の前にひろがっているから、何を選んでいいかわからないという状態になりがちです。

なんでも出来る、なんでも選択出来るということは、自分の道が定まらず、自分の意思や行動一つで変わってしまう。下手をするとあれもこれもと流されてしまうことになりかねないです。

選択するのは自分自身だから、自分がしっかりしていなければ、選択することはできないです。

例えば、情報一つとってみても、今の時代のように情報があり余るほどあることは決して自由ではないです。

一見自由に見えますが、選ぶのは自分自身、それがしっかりしていなければ、情報に流されてどうしていいかわからず、不自由な思いをします。

「結婚してかえって自由になった」という人もいます。

むしろしばられるのではないかと思いがちですが、自分の居場所が決まったことで、自由に考え行動できるようになったということでしょう。

30代は、若くてはしゃいでいた20代を経て、自分なりの考え方を持ち、落ち着いて自分の考えで選択しなければならないのです。

結婚相談所 20代



2011年12月14日 (水)

結婚の幸せを分かち合う

結婚相手に対する愛情が生じたので、その分だけ家族に対する愛情が減る結果になっていたのでは問題です。

結婚相手に対する愛情は新たに湧き出てくるものであって、新たな泉が源です。

そのために家族に対する愛情が影響を受けるのはおかしいです。

家族に協力してもらいたいと思ったら、家族への愛情も忘れてはいけません。

職場の周囲の人に対しても、何か迷惑をかけていることはないかどうか、よく考えてみましょう。

恋人との私的な電話をしていれば、その点は、仕事にとってマイナスの要因です。

上司に非難される可能性もあり、非難されても当然として受け止めなくてはなりません。

ただ、その分だけはカバーしようとする意欲が見られ、その心がけが感じられるときは、誰も文句はいいません。

逆に、大いに2人の仲を祝福してくれ、いろいろと応援もしてくれるはずです。

家や職場の外で接触する人たちとの関係についても同様です。

結婚した後、2人だけの世界に没頭したいために、外の人たちの感情を無視するかたちになってはいけません。

自分たちが結婚生活で幸せであればあるほど、押しつけがましくない範囲内で、幸せの「おすそ分け」をするくらいの気持ちが必要です。

2011年11月29日 (火)

結婚相手中心主義はNO!

親兄弟などの血のつながりがある人よりも、さらに客観的な判断のできる友人のほうが、結婚の相談相手にふさわしいようです。

結婚は二人だけのものであるが、社会との接点を常に持ち続けなくてはなりません。

社会から非難されないためには、親友にときどき診断してもらう必要があります。

結婚をすると、それまでは利己的であった人も、独りよがりではなくなります。

相手を中心に考え相手に尽くそうとします。

自分のことはあまり考えないで、献身的な動きを活発にしはじめる人もいます。

当人間では、配慮が非常によく行き届いた状態になっているが、周囲の人との関係はどうなっているか、ときどきは反省してみる必要があります。

すべて結婚相手中心主義になっていて、ほかの人との関係では利己的になっている可能性もあります。

二人だけの内なる世界を大切にするあまり、外なる世界に対する配慮が欠ける結果になっているかもしれません。

結婚で目が眩んでしまうと、周囲が目に入らなくなります。

同居している親兄弟があれば、皆に何らかの迷惑をかけているのは間違いありません。

家族が喜んで協力してくれているのであれば、それほど迷惑はかけないで、家でもきちんと行儀よく振る舞っている証拠です。

2011年10月20日 (木)

結婚の縁談の礼儀

職場や近所での評判などを自分で調べるのはかまいませんが、先方に失礼のないように十分注意することが必要です。

「会うだけ会ってみる」は禁物お見合いは男女の出会いの場には違いないのですが、お見合いが起こるたびに書類をよく検討もしないで、次から次へとお見合いを重ねるのはどうかと思います。

多くの異性のなかから自分にふさわしい人を選ぶという考えはよくても、お見合いの席に安易な態度で臨むのは感心できません。

たいしてその気もないのに、「会うだけ会ってみ
よう」というのも禁物です。

お見合いとは、結婚の意思のある人どうしが出会い、よりよい伴侶をさがし求めるためにあるのです。

興味本位でするものではありません。

持ちこまれた資料を検討して、気に入らない場合は、周囲に気がねすることなくはっきりした意思表示をします。

会社の上司などからきたお見合いだと断りにくい面もあるでしょうが、「せっかくですが、このお話はご縁がないように思いますので」とか「ご好意は本当にありがたいのですが、まだその気にはなれません」と丁重に断ります。

結婚の縁談をお願いしていた人に断りを入れるときは、返却する資料のほかに菓子折程度の品物を持参し、お骨折りいただいたことへのお礼とおわびを述べます。

2011年9月22日 (木)

お見合い話を持ち込まれたら

お見合い話は、こちらから依頼していなくても、年ごろになると外から持ちこまれることがあります。

本人にその気がなければ、まだ結婚の意思がないことを理由に、その場で書類を返しても差し支えありません。

縁談をお願いしていたときは、書類や写真を見てたとえ気に入らなくても、お世話してくださった人の好意に感謝して、いったん資料を預かります。

ただし、長く預かっていたのでは相手に期待を持たせてしまいますから、遅くても一週間以内には理由を告げて資料を返却するようにします。

心が動いてお見合いする気になった場合は、「お会いしてみたいので、よろしくお願いします」と仲介者にこちらの意向を伝えます。

いずれにしても、縁談を持ってきてくれた人は返事を心待ちにしているものです。

お見合いをする、しないの返事は、先方から催促される前にできるだけ早くするように心がけましょう。

「人間は会ってみなければわからない」とよくいわれますが、相手のだいたいの輪郭ぐらいは、履歴書や身上書、写真などを見てつかんでおくことが大切です。

資料を見てもわからないことや、もっと詳しく知りたいことがあるときは、遠慮しないで仲介者に問い合わせます。

2011年8月19日 (金)

結婚生活の30年後を想像する

老後の"二人の姿"が思い浮かべられますか結婚生活は20代、30代の、まだ甘い、ロマンチックな香りの残る日々をピークとするわけではありません。

結婚生活は30年も50年も続き、その一日一日が同じように重みをもちます。

そう考えるとき、これから結婚するカップルは、これから何十年か先の自分たちの姿を思い浮かべられるでしょうか?

自分たち二人はいったいどうなっていることだろうか。

老後をどう過ごしているだろうか。

子どもが生まれ、学校へ通い、成人し、孫が生まれているかもしれない。

そのとき、2人のプロジェクトはどのように完成されているだろうか。

それは、何十年かのちの自分たち夫婦がどのようにあり得るか、どのようにあるべきかを思い浮かべることにもなるでしょう。

なりたい自分、将来像を思い描き、その青写真に現在の配偶者がどのように収まるものなのか。

末長くなどといっても、これから結婚しようとしている、あるいはしたばかりの二人には、当面のさまざまなこと以外のことを見据えるのは、なかなかむずかしいかもしれません。

だが、あまりにも遠いことのように思える将来も、やがては確実にやってくるのです。

結婚相談所 20代

2011年7月18日 (月)

お見合い相手の両親から好印象を得るには・・・

今、結婚適齢期の人たちのご両親というと50代前後が多いと思います。

若い人は、親は保守的でカタいと考えがちですが、実はそれほどでもありません。

というのも、その世代の人たちは戦後の男女同権とか女性の社会進出といった民主主義の新しい波を若いころに受けているので、その一世代前の親たちとちがってそれほど保守一辺倒ではないのです。

そのぶん個人差も激しくて、保守的な人もいれば、正反対に進んだ人もいますが。

つまり、親に対して固定観念や先入観をもたないほうがいいのです。

それでは、お見合いや、お見合い後に交際が始まった段階で、相手のご両親に好印象をあたえるためのポイントをお教えしましょう。

流行のヘアスタイルは断じてダメなんてことは全然なくて、むしろ取り入れているほうが若々しいと評判がいいようです。

流行のロングヘアも抵抗ありませんが、気をつけたいのは清潔感。

チリチリとパーマをかけるよりストレートかストレートに近い髪が好まれるし、長いなら髪どめやカチューシャを上手に使ってすっきりまとめること。

ただし、ファッション業界ふうの最先端スタイルは人気ありません。

次に服装について。ご両親の職業や年齢にもよりますが、彼に姉妹がいると、彼女たちのふだんのいろいろな服装を見ているぶん、許容範囲が広いようです。

2011年6月20日 (月)

結婚は舞台の第二幕

結婚したとき、恋愛の第二幕が始まります。

今までは第一幕、結婚によって第二幕目がはじまったところです。

一幕目はどちらかというと自然のままに、無意識にすぎてしまいました。

これからの第二幕、あなたは演出をこらし、主演女優としての自分を演じあげてみてはいかがでしょうか。

もちろん、だからと言って大げさな身ぶり手ぶりで生活しろというのではありません。

まして虚栄で華美に自分を飾れというのでもありません。

独身時代には、言ってみれば自分一人のことを考えていればよかった。

でも結婚してからはそうはいきません。

常に夫のこと、子供が生まれたら子供のことを考えなければならない。

舞台には自分一人でなく相手役がいるのです。

どんな名女優でも自分勝手に動きまわっては芝居がなりたたないといいます。

相手役との呼吸がうまく合ってこそ、芝居が盛り上がるのです。

夫婦や家庭生活も同じこと。

自分が今、どういう動きをし、どういうセリフをはけば相手がうまく乗ってくるか。

その判断が何より大事です。

しかもそこには台本がない。

一瞬一瞬の勝負です。

たったひとつのセリフ、たったひとつの動きで舞台がくるりと回転してしまうこともあるのです。

名演技を期待される理由がそこにあります。

結婚相談所 20代

2011年5月20日 (金)

昭和50年代の社会と結婚観

昭和47年頃からの10年間は、家族・家庭をめぐる様々な話題が、社会問題のトップとしてマスコミに大きく取り上げられた時代であった。

47~48年の「子捨て・子殺し」「老入問題ブーム」、50年の「国際婦人年」と「性別役割見直し論」、51~52年の「親子心中」「小中学生自殺」、さらに53年には「家庭内暴力」なる言葉が出現し、55年からは、「中高年離婚」「単身赴任」「高齢化社会」などが、声高に論じられるようになった。

テレビでは、橋田寿賀子原作のドラマが評判を呼んだ。

「隣の芝生」(51年)は嫁姑紛争、「夫婦」(53年)は親子同居問題、「離婚」(55年)は中年離婚問題で、いずれも飾らない本音のせりふが人気を集め、「辛ロドラマ」と評された。

これらの家族問題が、本気で論じられる時代になったということであろう。

こういう風潮になると、若者は「結婚して家庭を作る」という気持ちを失うのではないか、と思われる程である。

確かに、「近ごろの若い人は結婚したがらなくなった」という声を、よく聞くようになった。

57年に上映されたアメリカ映画「結婚しない女」もかなりの評判を呼んで、日本でも流行する前触れではないかと言われた。

~M’sブライダルジャパン

2011年5月11日 (水)

厳密な意味での恋愛結婚

かつて東京で調査を行なったアメリカの社会学者授が日本での結婚手段のカテゴリーを恋愛と見合いの2極限型に分類することに疑問を抱き、

(1)    他者の判断が全く介入しない
(2)    婚前の交際がある
(3)    愛情が生じている
(4)    伝統的形式と無関係

の4要素を、すべて満たしていなければ純恋愛結婚とはいえず、この尺度をきびしく当てはめれば、日本では純恋愛はきわめて少ないと指摘したとおりである。

そして、この質問をさらにふえんして「実際にはどうなると思うか」とたたみかけてみると、恋愛型から見合い型への移行が顕著にみられ、現代青年においてもなお見合いという手段が、重要視されていることがはっきりする。

すなわち、理想的には恋愛だが、現実には見合いも辞さずであって、この点、最初から見合いに過半数が集まる女子短大生は、もっとも保守的ではあるが、もっとも現実的でもあるということになろうか。


(東京結婚史研究会)

2011年4月25日 (月)

千代田区の結婚相談所

アメリカの一般夫婦の例にみられるように、「好きな人とできるだけ一緒にいたいから結婚したのだ」という素直な考えは、ほとんどうかがえない。

この傾向は、既婚女性の理由をみるとき一層鮮明に確認される。

東京都千代田区の結婚相談所で成立した結婚直後の初婚女性に対する調査結果によると、結婚にかけた主要な期待は次のようであった。

どの年齢階層を通じても一番多いのは「親が安心するだろう」ことであり、これが、自己の「精神的安定」や「生きがい」を合わせた数よりも多い点が、(日本の結婚の他律性)をあざやかに物語ってくれる。

ただし、20歳前後の短大生には、「好きな男性と楽しい家庭を作りたい」といったアメリカ風な快楽主義的結婚観が2割近くあって、新しい時代の流れが感じられる。

では、45年当時の千代田区の20代の若者は、見合いと恋愛のどちらの手段をより望んでいたのか。

圧倒的に恋愛だろうと思われやすいが実はそうではない。

「恋愛感情を最尊重する」という青年は、多い方の男子学生で37%、女子労働者で35%どまりで、一番多いカテゴリーではない。

「見合いだけで十分」という者は1~4%でさすがに少ないが、女性には「見合いしてその後の交際で」と「長く交際した友人知人から」というのがもっとも人気があり、純見合いでも純恋愛でもないそれをミックスした中間型がもっとも好まれているのである。

千代田区は、富裕層やセレブが多いため、必ずしも全国に当てはまるとは限らないが、当時の世相をよくあらわしているといえよう。

(東京結婚史研究会)

2011年4月12日 (火)

東京の男女の「結婚したい理由」

東京都民は、何のためにそんなに結婚したがるのか。

世間の大部分の人間がとっている慣習的行為の理由を問うのは、むずかしいことであるが、東京の結婚志望者に無理に考えてもらったところでは、「独身よりはましだと思うから」「一生独身ではさびしいから」「中年以降のことを考えて」といった消極的なものがある。

また、「女性の一番の目的だから」「人生を幸福に送る一つの道だから」「人間として当然のなりゆき」という当然論を経て「子どもが欲しいから」「親が作った家庭でなく自分自身の楽しい家庭をもちたいから」「人間として完成するため」といった積極説までいろいろな答が女子学生からはきかれた。

中学卒で東京に就職している女子労働者の場合は、大勢としては大学生のそれと変わりないが、現実的で夢がない意見が目立つ。

たとえば、「一人ではやっていけない」「結婚が女の一生だから」「いつまでも一人だと世間体が悪い」「わからない、ただ何となく」といった調子である。

男子学生になると、さらに即物的で、「食欲も性欲も楽に満たされるから」「いわゆる身が固まるから」「ハウスキーパーが得られるから」といった意見が出され、(生活手段としての結婚)観が濃厚に感じとれる。

(東京結婚史研究会)

2011年3月31日 (木)

20代の結婚志向

昭和40年代の男女の結婚観は、どうであったか。

昭和44年から45年にかけて、東京の私立A女子大学、私立B女子短期大学の女子学生、私立C共学大学の男子学生、大阪のD紡績会社女子労働者(中学・高校卒)計811名について行なった調査の結果を中心にまとめてみよう。

まず、結婚することを希望するか否かであるが、私立女子大生の97%、女子労働者の98%、女子短大生に至っては99%まで「結婚したい」と述べ、独身主義者は女性では1ないし3%にすぎない。

わずかに、男子大学生に独身希望が6%あった。

もっとも一方においては約2%のものが「将来、家庭は消滅する」と考え、女子大生の2%、女子労働者の5%が、「将来、結婚は法的・社会的統制を要しないものになる」と考えてはいるものの、自己の問題としては、圧倒的大多数が結婚することを目標にしていたのである。

この比率は、昭和40年国勢調査における50歳女性の既婚率98%とぼぼ等しく、世界でも結婚好きな国民性はゆるぎそうにない。

ヨーロッパでの既婚率はせいぜい90%であることを勘案すると、東京の20代の結婚志向はきわめて高いといえるのである。

(東京結婚史研究会)

2011年3月16日 (水)

セレブとの結婚を望む女性たち

昭和43年3月にNHKテレビから放映された「にっぽん診断・適齢期」では、東京丸の内の一流企業に勤める平均22歳8か月の未婚女性100名が結婚相手としての男性に望む条件は、次のようなものであった。

年齢・・・4歳上

学歴・・・大学卒

月収・・・手取りで35,000円以上

職業・・・会社員、できれば技術者

続柄・・・長男でもよいが一人っ子は困る

身長・・・170センチ以上

体型・・・中肉または痩せ型

メガネ・・・できればかけていない

性質・・・誠実であること

酒・賭け事・・・たしなむ程度

当時の25~29歳の日本独身男性は201万人いたが、このうち、上記の条件を満たす者は、統計上分かる範囲だけで、なんと、わずか27,000人に絞られる。

まさに「セレブ」である。

更に、実態についての統計がはっきりしない「酒・賭け事」の質問項目を勘案すると、この約3分の1、すなわち1万人もいないと推計された。

他方、適齢期の独身女性は247万人もいたのだから、希望条件を全部満たす相手とゴールインできる女性は、実際には、250人に1人でしかなかったのである。

このころから、セレブとの結婚を望む独身女性が多かったということだ。結婚相手についての理想はあくまで高くするという女性の心理がくみとれる。

だが、出演したOL100人のうち89人は、結婚相手を「努力して探す」のではなく、「なんとなく待っている」と答え、70人の者が「近い将来、幸せな結婚を獲得できる」と楽観していた。

2011年3月 2日 (水)

お見合い結婚と恋愛結婚が逆転

昭和40年代になると、結婚観はさらに大きく変わっていった。結婚はお見合いよりも、恋愛が主流になってきたのである。

戦後も20年を経過した昭和40年代に入ると、高度経済成長の波にのって国民生活水準は急速に向上し、結婚をめぐる考え方や行動にも自由度が広がった。

また、それを支えるだけの社会条件が整ってきたのである。

家族問題に関係深いデータについてみると、三つの側面について明白な転換が見られた。

第一は、恋愛結婚の割合が、お見合い結婚のそれを上回るようになってきたことである。

第二は、戦後ずっと下がり続けていた離婚率が、40年から上昇に転じ始め、夫婦というものが、少し動いてきたこと、そして第三は、離婚の際の子供の引き取りは、ずっと父の方が多かったのに、38年には五分五分となり、40年頃からは母の方が多くなってきた。

この逆転現象はその後さらに促進され、最近は7対3にまで広がっている。

これらのことはすべて、結婚生活における自由度の拡大、夫婦関係の平等化の促進を告げるものと受け取れる。

とくに、若い未婚女性は、男性よりもはっきりとした結婚条件を抱くようになった。

(東京結婚史研究会)

2011年2月15日 (火)

20代の結婚観の変化

昭和40年代初めに実施された「家庭生活意識に関する世論調査」(総理府)によると、20代から60代におよぶ既婚男女の各年齢層を通じて、家庭生活全体として「子どもの頃(すなわち戦前)よりも現在の方が良い」と答えた。

これは意見を明示した人も84%にものぼり、しかも、20代においては、妻だけでなく夫も同様に支持した。

この結婚・家族肯定観は、しつけ問題を除けば、父親・母親とも役割をよく果たし、夫婦の間柄もうまくいっているという自信に支えられている。

この調査は、戦前賛美論が多かった「家族制度に関する世論調査」の10年後のものだが、この間に「夫の家庭化」「長男の劣位化」「嫁の優位化」といった価値の転換がみられた。

とくに20代の間では、戦後の新しい結婚観・家族観への肯定的な考え方が見受けられた。

40年前後に流行した「家つき、カーつき、ババア抜き」はそのシンボル的キャッチフレーズなのであった。

(東京結婚史研究会)

2011年2月 1日 (火)

東京の結婚

昭和30年代、結婚したばかりの東京の若い新婚夫婦は、都市の木賃アパートのほか、この時代に新登場した「公団住宅」に住むことが多くなった。

2DK中心の狭いものであったが、そこに世帯を構えた者は「団地族」と呼ばれて羨望のまなざしで見られた。

36年に、東京で結婚したばかりの団地に住む妻達を調査した読売新聞東京都民版のルポルタージュ『あなたとわたし』は、あらゆることに一応満足している女性が大部分であったところから、「まあ満足夫人」の誕生だと伝えるほどであった。

40年までの10年間に、世帯構成の割合が核家族世帯で3.0ポイントふえ、拡大家族が7.5ポイント減少したことから「核家族化」が喧伝された。

しかし、拡大家族世帯も643万から683万へ増加しているのであって、絶対数が減少したわけではない。

つまり、従来の拡大家族が分裂したのではなく、増大した新たな若年層が別の世帯をつくったのである。

このように、青年世代の増加の結果とはいえ、東京では、結婚したばかりの核家族が10年間で411万世帯も増加して拡大家族の倍以上になったことは核家族時代の到来をうたってよいであろう。

これは量的問題のみでなく、同時に質的にも、親族組織の中での核家族の自立化・孤立化ならびに、結婚という配偶者選択における恋愛の優越と見合いの減退をもたらした。

この結果、東京都民の結婚についての意識の面でも明らかな変化がみられたのである。

(東京結婚史研究会)

2011年1月10日 (月)

昭和30年代の結婚と家族

30年代の東京は、政治的には、石炭不況や安保闘争をめぐる激突で揺れていたが、家庭をめぐる状況は、むしろ好転していた。

古い家族制度にまっわる因習と、貧しさからの圧迫には一応別れを告げ、豊かな社会がもたらす弊害にはまだ遠かったために、戦後の中では最もよくバランスのとれた時代であったといえる。

アメリカでも、1960年代の10年間を「シクスティーズ」と呼んで、発展と安定の時代と高く評価しているが、日本もそれに近い姿はあったわけである。

結婚数はどんどん増えて、30年には72万組であったものが39年には96万組を越え、他方、離婚率はずっと低下の一途をたどるという結構な状態にあった。

社会的に盛んになっていた新生活運動が結婚式にもとり入れられ、「会費制結婚式」「人前結婚式」「おしゃもじ結婚式」など、新しい試みが一番多く見られた。

結婚式に使えるようなホテルはまだ東京にも少なかった。このため、一般庶民の結婚式場としては、公民館や生活館、共済会館などが愛用され、地方では自宅の披露宴がまだまだふつうであった。

(東京結婚史研究会)

2011年1月 8日 (土)

東京における結婚の価値観の変化

終戦後間もない昭和20年代、東京の結婚に関する価値観は劇的に変化した。

女性は、経済的手段を知るとともに、異性と公然と交際する道が開けた。

これは、男女共学の開始とともに、配偶者選択の大きな転換を告げるきっかけとなった。

昭和28年の読売新聞東京本社の調査によると、「最近学校や職場などで若い未婚の男女の交際が広く行なわれていますが、あなたはこの傾向をどう思いますか司という問に対し、「わるい」32%、「わからない」29%があったものの、「よい」が39%で多数を占めた。迷う者が多かった半面、青年および都市生活者は肯定者であることがはっきりした(読売新聞東京版28年4月14日)。

では、結婚していた者の態度はどうであったろうか。

同じ年に行なわれた東京の夫婦調査によると、恋愛に固執するのはむしろ少数で、大多数の者は「どちらでもよい」としていた。

これは、対象者の80%が見合い結婚した者であることにもよるが、「恋愛は危険」と考える人が多いことの反映でもあった。

なお、これらの人々は、夫婦の平等、同等の学歴、同じ信仰や知的興味、同じ娯楽などを求めることにおいては、近代的意識を持っていたが、「妻が職業を持つこと」については賛成20%足らずで、積極的反対の方が男女ともずっと多いことにおいては保守的なのであった。

(東京結婚史研究会)

2011年1月 7日 (金)

昭和20年代の結婚

昭和の東京における結婚の歴史について、まとめてゆきたい。

まずは、戦後の社会的な動向と結婚観の変化について、振り返ってみようと思う。

昭和20年の日本の敗戦は、東京の社会と伝統にも徹底的な打撃を与えた。

工場、学校、住宅、鉄道、道路など、あらゆるものが破壊され、激しい食糧難とインフレとが庶民を襲ったが、世の中の倫理や価値をめぐる変化も著しいものであった。

その中でも、家族関係をめぐる諸問題は、憲法改正とからんで大きな政治・社会問題の一つとなっていった。

他方、21~23年には、戦争末期に結婚できなかったり、戦争や災害で配偶者を失っていた人達が、争って相手を求めたため、全国的に爆発的な「結婚ブーム」が、出現することとなった。

22年には、適齢期に当たる25~34歳男性人口の20%にあたる者が、(法的な)結婚をした。

これは、30年代の2倍に近いが、当時多かった内縁結婚まで含めれば、もっと多かった筈である。

各地で集団見合いが企てられ、東京多摩川河畔の見合い大会には300人の男女が集合し、上野では合同結婚式が行なわれた(いずれも22年11月)と報道された。

また、政治的立場を越えた代議士同士、松谷天光光と園田直の結婚や、塩谷温博士の古希の恋(いずれも24年12月)が、好意的に紹介されている。

(東京結婚史研究会)